これから神様の愛に出会われる方へ


ヨハン早稲田キリスト教会のある兄弟姉妹の証から:

 

こんばんは。私は現在、編集プロダクションで子ども向けの科学雑誌の制作をしています。

 2003年、ある姉妹を通してこの教会へ導かれました。しかし聖書にはなかなか馴染むことができなかった私は、その姉妹が好きな聖書の1節を毎週少しずつ聞かせてもらうようになりました。そのようにして5か月がたち、初めて教会へ足を運びました。たくさんの兄弟姉妹たちに大歓迎され、とても驚き、またうれしかったことを、よく覚えています。その後は、毎週ではありませんが、少しずつ教会へ通うようになりました。

 洗礼を受ける決意をしたのは、就職をしてから1年半が過ぎたころです。受洗クラスに入るのは2度目でした。学生の頃に1度、入ってみたものの、すぐに挫折してしまったからです。そんな私が、なぜふたたび受洗クラスに入る決意をしたのか…、明確な理由やきっかけを思い出すことができません。ただ、自分でも不思議なくらい自然と、洗礼を受けたいと思うようになったのです。出会ってから2年半、変わらず週に1度会いに来てくれる姉妹。先生方もたびたび職場近くまで、私に会いに来てくださいました。また、教会で出会う兄弟姉妹の姿。そこに、イエス様の愛が確かに存在することを、少しずつ確信するようになったからだと思います。私も、もっと深くイエス様の愛を知りたい、イエス様の愛で満たされたい、という気持ちが強くなりました。そして、昨年のクリスマスイヴ、たくさんの兄弟姉妹たちに祝福されて、洗礼を受けました。

 私は、人の悲しみや喜びをともに味わうことができるような心の温かい人、おおらかで心の広い人、愛のある人に、ずっとあこがれてきました。できれば、そのような人になりた、とずっと思ってきました。しかし、現実は、自分にとって都合のよいことばかり考え、少しでも思うようにいかないとイライラしたり、深く落ち込んだり…。また、自分の中にある意地悪な部分や、見栄っぱりな部分にも、たびたび自己嫌悪に陥っていました。

 しかし、神様の愛を信じる今は、落ち込むだけで終わることはありません。イエス様の御名によって祈ることができます。神様が喜ばれない感情、そして自分自身もよくないと思う感情をいだいてしまった時に、神様に伝えて、このようなよくない感情から離れさせてください、私を清めてください、と祈ることができます。また、人のために何かよいことをしようと思い立ったとき、それにともなう苦労を想像して弱気になる気持ち、せっかくその人のためにやったことが気づかれなかったり、感謝されなかったりしたらイヤだな…と思う気持ち、さまざまな気持ちが、よいことをしたいと思う決意を妨げます。けれども、イエス様の愛はそのような感情を乗り越える勇気をくださいます。以前は、やっぱりダメだ…と諦めてしまっていた場面で、今は、もう1歩前に進むことができます。

 週刊誌制作という忙しい生活の中で、目の前のことだけに流されず、祈りをかなえてくださる神様を信じて祈ることができること。それが、私にとって、とても心強く、心に平安を与えてくれます。

 私はまだまだ神様の愛の深さを知りません。けれども、神様の愛に出会うことが、人にとって一番の幸せだと思っています。だから、すべての人が、神様の愛に出会うことができるよう望んでいます。最近、神様の恵みによって、職場の人が教会に導かれました。彼女が神様の愛に出会い、ともに救われますよう、祈っています。

 そして、これから神様の愛に出会われる方へ。さまざまな困惑や疑問、大きな葛藤があると思います。それでも、どうか神様にそのすべてを打ち明けて、祈り続けてください。どんなかたちでもいいので、どうか教会につながっていてください。神様の深い愛に出会うことができますよう、心から願い、確信し、お祈りいたします。

 どうもありがとうございました。